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【独り言】信頼できるのは情報ではなくて人、ということなんでしょう。

www.さとなお.com(さなメモ): 「友人のリコメンド」が一番の「販促」
これはもう私も同感です。ここ最近買っている本って、本屋で見たものでもamazonで勧められたものでもなくて、知り合いのつぶやきなどから知った本がほとんどです。自分に近いことをしている人をフォローなり友達なりRSS登録なりして情報を得ているので、その人がいいと言っているものは自分にとってもいいだろうということですね。ネット上のどこの誰だかわからないハンドルネームの人じゃなくて、実際に会ったり、話したり、メールなどのやり取りをした人だから信頼できるんです。

■昔の日本には井戸端会議や喫煙所での会話がありましたよね

人が集まるところには情報が集まるし、TV・新聞・ラジオ・雑誌が伝えないものはここでしか伝わっていなかったので、重要な情報源(漏洩源?)にもなっていたわけです。どこどこの誰々さんが○○でダイエットしたとかって話ですね。それが信用できるかどうかはさておき、限られた情報しかなかった時代なので、こういった情報は貴重でした。今でも田舎の方はこんな感じで、知らない人が一人で訪れたりすると、おばちゃんたちから職務質問にあって、あっという間に有名人になってしまいますよね(笑)

■ネットができて知りたい情報が手に入るようになった

私はNFLという比較的マイナーなスポーツが好きですので、ネットがない時代は雑誌かBSの放送しか情報源がありませんでした。マリーノがいたことのドルフィンズという比較的メジャーなチームのファンですので、それなりに試合も見ることができたし情報もありましたが、下位のチームはそれはそれはひどいものでした。得られるものは試合結果と数字のみ・・・。

その限られた情報を一気に解放したのがインターネットですね。チームの公式サイトもあればNFLのサイトもあるし、ファンの人たちが集まる掲示板などもできて、毎週月曜はドキドキしながら試合結果を見て、残りは個人成績やら過去の対戦など見ながら翌週の試合について話し合うといった感じになりました。このころは誰もがというよりも、情報に飢えた人たちがネットを使っていた時代でしたので、供給よりも需要の方が多かったです。

■ネットが普及するにつれて情報が氾濫してお客様の声が登場

それがあっという間に広がって情報が氾濫し、いったい何が正しいの?となってきたのがその次です。こんな速度で情報が増えたらそうなりますよね。
総務省,「情報流通インデックス」計量結果の公表

そして、「お客様の声」というやつが重要になってきたわけです。何を選んだらいいかわからない時に、他の人はこう言っています、というものを載せておくと、それを選んでしまうんですよね。これはもう、他の人と違うのが嫌だという日本人の性格を突いたいい方法で、上に書いた井戸端会議で起こっていることと変わりません。

■お客様の声が怪しくなってきた

感想を書いていただければ○○プレゼント!となってこれば、中身もどうでもいいものが増えてくるし、悪いことも書けなくなってきて、結局はあまり信頼できない情報となってしまいます。どれだけ多くの人が良いといっても、それが自分に合わなければ意味がありません。以前は自分の知らないものが見つかったという発見に対する喜びと、見つけたものを他の多くの人も良いと言っているという行列に似た感覚で行動していていました。しかし、今ではたくさんの人がいいと言っているけど期待したほどよくないよね、といった感じで行列にも効果がないしお客様の声にも効果がなくなってきています(もちろんそうじゃない場合も多いです)。

■巡り巡って知り合いからの情報が一番

そして、結局友人からの口コミが一番信頼できる情報ってことになってきています。知り合いからの情報だと、どんなことに興味があるか、どんなことに詳しいか、年齢や性別や職業、などのように知らず知らずのうちにセグメントされた情報になっているので判断がしやすいんですよね。しかもそこにはお金が発生していないという特徴もあります。その情報がリアルの場ではなくて、twitterやfacebookといったソーシャルメディア上で流れているというのが現実なのでしょう。だから、ソーシャルメディアを使いことなすとか考えるのではなくて、情報の流れが変わったとだけ思っていればいいのではないかと思います。あとはその情報を自分が選べることと、対象が世界中になったこと。

ということで、

特にソーシャルメディアの時代に入ると、「友人のリコメンド」が一番の「販促」だったりする。
単に「ツイッターをキャンペーンに組み込む」とかではなく、ちゃんと「人に言いたくなるストーリーが組み込まれていること」が大切になる。一発アイデアのみの販促企画はだんだん機能しにくくなってくると思う。

ということだなと思うわけです。